2011年10月15日土曜日

折しも

「ビタミンの基礎から臨床応用まで」のシンポジウムに参加してきました。

今日は折しも、慈恵会医科大学の創立者高木兼寛先生の命日だそうです。

明治時代、当時の日本軍では純然たる戦死者よりも脚気による病死、
つまり戦地ではない所で亡くなる兵隊さんが多かったのです。

いまでは、脚気と聞けば、あービタミンB1欠乏ね!なんて簡単に思って
しまうのですが当時はまだまだ原因不明の病気。

高木先生は海軍の軍医で脚気の原因は食事にあり、と軍隊の食事を
大改革。最初はタンパク質不足が疑われたようですが、結果白米を廃止。

対する陸軍では脚気の原因は何らかの病原菌という説を支持していました。

陸軍の軍医のトップは後に文豪となる、森林太郎(鴎外)。

陸軍からはいじめられ、海軍内部からも反発され四面楚歌。
しかし高木先生があきらめず食事の変革をしたことで海軍では脚気
による死者がほぼゼロになりました。

一方、陸軍はその後しばらく脚気による犠牲者を出し続けることと
なります。(作家としては優れた作品を残しましたが医者としては
果たしてどうだったのか・・・)

私たちが常識として当たり前に知っていることも、
いろいろな人間ドラマの上になりたっているんですねー。

もしご興味がおありの方は吉村昭著「白い航跡」(上下巻)が
おすすめ。相当面白いです。

あれ?

見事にシンポジウムの話からそれてしまいました・・
その話はまた次回。